★初めての技能グランプリ体験記★ |
①誰にでも夢がある |
②テレビに出られる? |
③選手の本心・・・ |
④決戦!我が関ヶ原の戦い |
⑤長く不安な一日 |
⑥残念な結果 |
⑦今から思えば |
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●誰にでも夢がある● |
「ひとかどの職人になりたい。」この道に入って常に願っていた事です。技能グランプリは、ちょうど私が修行に入った頃より第1回目の大会が開催されました。その当時、この大会に修行先の上司の方が出場され上位入賞されました。
当時の私と言えば、ハンコ屋の後を継ぐ為に、大阪にて毎日毎日荒彫り(あらぼり・1番初歩の仕事)に取り組んでいました。1日8時間その作業の繰り返しです。
技能グランプリ大会は、修行時代より受賞する事以前に出場しても恥かしくないだけの技能を有するような職人になる事が第一の目的でした。
5年間の修行期間が終わり、半人前のままで田舎に帰りそれからが本当の修行だったように思えます。
日々の仕事に追われ羅針盤の無い独学のみの毎日で、技能グランプリに出場出来るだけの技能士になれるのだろうかとアセリばかりが先に立つ毎日でした。
とりあえず先人の残された作品を参考にし、良い作品といわれるものの感覚を養おうと多くの印影を観る事より始めましたが、独学のみの悲しさか間違った知識も多く詰め込み業界主催の技術競技大会や展覧会にて酷評・落選等くやしい思いも沢山してきました。
不安な気持ちを持ちながらでも日々は進んでゆき、やがて労働大臣検定一級技能士の技能検定に合格して、技能グランプリ大会に出場できる最低限の権利を獲得しました。
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●テレビに出られる?● |
寒い寒い2月の事。初めて技能グランプリに出場する事が決まり、山口県職業能力開発協会より県庁にて大会に出場する山口県選手団の結団式があるとの知らせがありました。
初めて入る県庁の会議室。どういう事が行われるのか興味津々でした。思った以上にきれいな所だなあなどと感心しているうちに新聞社の方々がポツリポツリ入ってきてビックリしました。
新聞に載るのかなと思っているうちに4社のテレビ局の人達がカメラを持ってぞろぞろ入ってきて2度目のビックリです。
テレビに出られるかも。結団式が始まり緊張しながらも今夜のローカルニュースは絶対見なくては。こんな事は最初で最後かもしれません。そんなことばかり考えていました。
ニュースで放送されてからお得意先や数人のお客様より「ガンバッテね」とのうれしいお言葉をいただき次第にプレッシャーがかかり大会まで軽いうつ状態でした。
この程度の事でドキドキするとは情けない。オリンピック選手の背負っているプレッシャーに比べれば何程のことはありません。スポーツ選手とは凄いもんだなと思います。
あの強靭な精神力はどこから湧いてくるのでしょうか。一般人の私には真似が出来ないことだなと思いました。
いざ鎌倉へ。開会式の前夜ブルートレインに乗り東京を目指しました。
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●選手の本心・・・● |
弥生3月。春とは名ばかりで、2月より寒いのではないか。それとも東京はコンクリートジャングルといわれているので田舎より底冷えするのでしょうか。色々考えながら競技会場へ向かいました。
競技会場についてみると、他県より出場の選手数人がすでに上京されていました。とりあえず軽い挨拶を交わし明日自分の使用する机や椅子の高さの調整、道具の確認、彫刻刀(印刀)の研ぎ直しなどをして一段落。
初めてお会いする選手の方々との少しぎこちない会話。会話をされている方々の謙虚な話の内容の所々から自信のようなものがうかがえて、ムムッ!まさかこの人1番を狙っているのでは?。
よく聞いていくうちに大半の選手が本心では狙っているという事が感じとれ、「まあ当然と言えば当然か。一応県の代表で四日間も仕事を休んでわざわざ遠くから出場してきてるのだから。」
そう思うと緊張感が出てきて闘志に火がついてきました。今から思えば恥ずかしいのですが、内心かくいう私も身の程を知らぬ愚か者でやはり狙っていました。
開会式に出席するためにバスで千葉県の幕張に向かいました。大きな会場の中におるわおるわ一級技能士だらけでした。立派な開会式に普段店の中でハンコをコツコツ彫っている日陰者の職人の私は、初めて表舞台に出てきたような気がしました。
ホテルに帰ると頭の中は明日の実技の事でいっぱいです。ビールを飲みながら一人で作戦会議。作業時間のペース配分や、作業手順の確認等あれこれ考えていると昼間お会いした選手の方々の自信に満ちあふれた顔が浮かんできました。
この時の大会では、あらかじめ他県から出場されるメンバーが大体分かっていました。印章業界では、別に二つの競技大会を開催しておりましたのでメンバーの中には顔を知っている方。顔は知らなくても名前は聞いたことのある方も含まれていました。
何しろ上は60歳前の方から下は30歳代の方と幅広く出場されていますので、手の内が読めません。とりあえず独自の情報(偏見)で、「ライバルは誰々と誰それ。あの人は知らないが中々腕がたつらしい。誰々は作品の出来に波がある。」等自分勝手に決め付けて意識しているオリジナル馬鹿な私。
「私も永いこと一生懸命勉強してきたのだから負けるわけはない。自分の方が腕は確かなはず。遅れを取る事などはあり得ない。」などと一人自分に言い聞かせて床につきました。 |
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技能グランプリ競技大会風景 |
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▲決戦!我が関ヶ原の戦い▲ |
いよいよ運命の競技の日。この日の為に生きてきたような錯覚をいだきながら競技会場に向かいました。会場に近づくほどに昨夜までの自信は何処へやら。途中で帰りたくなりました。
9時より競技スタート。早速、字入れ(毛筆で印材に逆さまに文字を書いていく作業)に取りかかりましたが、極度の緊張状態で手が震えて思うように入りません。
しかも運の悪い事に私の席は、最後列で大会関係者の方や見学者の方々が入れかわり立ちかわり作業中の私を後ろから覗いて行かれます。作業を後ろから見られるというのはイヤなもので余計に緊張が高まり震えが止まりません。
あせる気持ちを抑えながらゆっくりと取りかかっているとパリパリッと(印刀で荒彫りをする音)小気味良い音。「早いなあ、まだ30分もたってないのにもう彫刻に取りかかっているのか。」益々アセッてきました。
そのうち「もうええ。競技時間は8時間あるのだから。早ければ良いと言うものではない。自分のペースでやるしかない。」と一人自分を慰めて再び作業に集中するように心がけました。
そのうち手の震えも収まってきて本来の調子を取り戻し順調に作業が進みました。やがて昼食の休憩時間になり、やっとリラックス出来るようになりました。
私には一つ注意する点がありました。「昼食は絶対とらない。」という事です。それと言うのも以前、一級技能士の実技の検定のとき、昼食を腹いっぱい食べた為に午後からの作業に集中力が失われたようで、彫刻作業中に印刀がすべり危うく枠をとばす(ふちを欠かす)ところだったという経験があったからです。
その時はさすがに全身から冷や汗が瞬間的に出てしばらくは動悸と震えが収まらなかったと記憶しています。
休憩時間も終わりいよいよ作業再開。朝と違い指も良く動くようになってきました。「快調、快調。」3時の休憩まで一心不乱の状態で作業に集中出来ました。
その頃になると各選手の作品もほぼ完成時の骨格が想像できるようになり、他人の仕事の出来が気になりだしました。15分の休憩の間、作業途中の人の作品を見て回りましたが、見せてくれる人も、見せてくれない人もあり(ケチと内心思った)見せてくれない人の作品が妙に気になったりと我ながら意地汚いことです。
3時の休憩も終わり後はラストスパート。調子も良いし印刀も良く切れる。「この調子で行けば。」作業終了の30分位前に作品が完成し、後はきれいに押し型をとる(押印する)のみ。最後の一仕事を終え作品を提出。
「やっと終わった。」張り詰めていたものが一気に開放されたようで心地よい充実感を味わいました。こんなに長時間集中して過ごしたのは初めてでした。
ひとつ驚いたのは、関東の選手は仕上げを(文字を削る作業)するときに、仕上げ刀を押して削っていた事です。関西で修行した私は引いて削ります。噂には聞いていましたが実際に見るのは初めてでした。
西欧では、ノコギリは押して使うと聞いています。日本では引いて切ります。と言うことは、東京のはんこ職人は舶来の技術の持ち主かも?
競技も終わり、その頃には皆さんとだいぶ親しくなり、親睦の意味もこめて全員居酒屋に集合。そしてお決まりの一杯。今日の事を振り返り一部の人とは、今日彫り上げた押し型(印影)を見せ合い「あーだこーだ。」と意見を言い合いながらの楽しい時間を過ごしました。
今日仕上げた作品に満足してホテルに帰り泥のように眠りました。
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●長く不安な一日● |
目がさめると体中がひどい筋肉痛。特に肩がカチカチでした。極度の緊張状態の8時間もの間、慣れない場所で競技に夢中になり無理な姿勢のままで作業を続けていたからでしょう。
今日は1日自由時間。とりあえず朝からビールを一杯。こんなこと普段は出来ないので少しリッチな気分に。仕上げた作品の出来も良かったのでビールが美味い。最高でした。
東京に行く前はどこか観光でもしようとか思っていましたが審査結果が気になり心はうわの空。受験生の気持ちが良く分かります。とりあえず電車に乗ってあちこち行きましたが何しろ田舎者。電車の乗り継ぎとかが分かりにくく中々目的地までたどり着けません。
修行時代には大阪に住んでいましたので、地下鉄等を利用していろんな所に遊びに行っていたものですが、田舎の単線暮らしが長くなり方向感覚もめっきり鈍くなってきたようです。まあ聞いた事のある名前の駅があれば適当に降りてみて、うろうろすればと思い電車に乗りました。
しかし歩いていても気になるのは審査結果。「今ごろ審査されているのだろうか。いや、もう結果が出ているのかもしれない。何位になっているのだろうか。」とまあ結果が出ていたにしても聞くわけにはいかないし、教えてもくれないのですが。あー胃が痛い。
将棋の好きな私は、千駄ヶ谷の将棋会館にだけは必ず立ち寄ろうと思っていました。もしかしてプロ棋士にお会いする事が出来るかもしれないとの期待を胸に駅を降り会館に向かいましたが残念無念。
希望は泡と消え仕方ないので大好きな内藤国雄九段の扇子と清水市代女流名人のテレカを買い、「世の中そううまい話は無いよなあ。」とあらためて思いました。
そして、その思いは別の意味で悲しいかな現実となりました。 |
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技能グランプリ表彰式風景 |
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▼残念な結果▼ |
「夢なら覚めてほしい。」自信満々の作品の審査結果は残念ながら第5位。入賞の末席でした。本心は金メダル(第一位)。最低でもメダルがもらえる第3位までには入れるだろうと思っていたのに何たるあり様。腹の立つことに最低ラインのメダルすらもらえません。
実力以上に期待していたものが大きすぎてあまりの結果にガックリきました。あれだけ勉強したのにこの現実。世の中に神も仏もあるものかと少し大げさに思いました。
「くやしい。こんな大会2度と出るものか。」山口くんだりからわざわざ仕事を休んで出向いてきたのに。最終日の砂を噛むような味気ない表彰式。舞台の上では第一位のグランプリを受賞された人たちが誇らしそうな顔をして立っている。
「いいなあ。うらやましい。」仕方ないので自分が立ったときの事を想像してみましたが空しいばかりで余計に気持ちが暗くなりました。
閉会式を終えて新幹線で山口に帰る。第5位の表彰状のみを手土産にしてでの約7時間の旅は長く、複雑な思いは一生忘れる事が出来ません。不思議な事にその時点では悔しさは消えていました。正確に言うと、気持ちが切れていたのでしょう。
再度挑戦しても「はたして自分にグランプリが取れるのだろうか。一生かかっても無理かもしれないなあ。」などと気が弱くなっていました。
そう思うとあれほどガッカリさせられた第5位の表彰状も、入賞できなくてそのまま帰られる選手の方も多いのに、手ぶらで帰らなくて運が良かったのかなあなどと情け無い考えも頭に浮かびました。
地元の駅(宇部新川駅)に降り立ったのが真夜中の12時過ぎ。寒い夜でした。
残念な結果にしばらくは人に会うのがイヤになりましたが家に帰ると日々の現実が待っていました。4日間も留守にすると仕事もたまっています。本心ではグレてやろうかとも思いましたがその前のやるべき仕事があり、また30歳を過ぎてグレるのもみっともない事だと思い直し恥ずかしながら辛抱しました。
冷静になってくると自分には他に何がある。好きな技術の世界でしか自分の居場所が無いではないか。少し前まではもう2度と出ないと決めていたものが、しばらくすると身体がウズウズしてまた挑戦してみたくなりました。
年に一度の大会ですので来年の3月が待ち遠しくそれまでに初心に帰り勉強して今度こそ舞台の上に立てるように頑張らなくてはと思いました。
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★今から思えば★ |
恋は盲目という言葉がありますが、当時の私はグランプリという熱病に取りつかれていたので更に盲目的になっていたのでしょう。
今から思えば当然の結果で、良く出来たと思っていたのも実は錯覚で順位にふさわしい作品の出来でしかなかったようです。当時の私の技術レベルではそれすらの見る目も無かったし、力量も足りなかっただけのようです。
不思議な事に、未熟な腕の頃(今も?)の方が自信に満ちあふれていました。最近では、勉強すればするほど印章技術の奥の深さと難しさが徐々に分かってきて、どんどんと自信も無くなってきました。
今思い出しても、当時の私の自信満々の気持ちが態度にも出ていたかもしれないなどと考えると、穴があったら入りたい心境です。何が難しいのかさえも分からないくらいの未熟な技量と無知のなせる業でした。
しかし当時の自分の技術に賭ける情熱だけは思い出しても今とは比べ物にならないほど熱いものがありました。猪突猛進。前ばかりしか見えなくて作品の仕上がりでも全体的なバランス感覚に欠けていたのでしょう。
技能グランプリに出場した事は良い経験になりました。今まで体験した事も無いようなものも経験できましたしあれだけの緊張感は2度と味わう事は無いと思います。
短期間にあれほど集中して勉強した事も初めてでした。また同じ志を持つ方々とも知り合いになれたことは私の無形の財産です。本当に色々と良い勉強になりました。
今後、出場予定の技能士の方や目標にされている若い技能士の方はもちろん多くの職種の多くの技能士の方々には是非とも1度体験されてみる事をお奨めいたします。
こんな体験は一生のうち日常生活の中ではめったに出来る事ではありません。またその時に競技内容や大会日程等でこの初体験記がお役に立てればと思っております。
最後に当時出場された選手やお世話していただいた役員の方々には、この場をおかりして大変お世話になりました。
本当にありがとうございました。
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●あとがき● |
技能グランプリには懲りずに数回挑戦しましたが、やはり初出場した時の思い出が一番あざやかです。当時の自分が体験して感じた事や心理状態を極力正直に書こうと記憶をたどりながらの作業でしたが昔の自分に少し戻れたようで懐かしくもあり恥かしくもあり複雑な心境です。
なお一部記憶違いの所があるかもしれませんがその時はご容赦下さい。今後、気付いたところがあれば加筆、修正していきたいと思っております。 |